日本にしろ海外にしろ、メディアが偏っていることを話すと、「まぁそれはうすうす感じるけれど、じゃあどうやってその偏りがわかるのか、またどんなものを見聞きすれば世の中の現実がわかるのですか」といった質問をされます。私だって世界の裏側までくまなく知っているわけでないので確証はないですが、最近思ったことを例にあげてみましょう。
FTに目を通すようになって、もう何年にもなります。FTは実名で書くコラムニストの記事が優れてます。日本の新聞は「社説」ですから、名前は出さず新聞社の意見ということですが、会社としてひとつの見解が出せるものではないと思いますよね。また新聞社専属の特派員や解説員ばかりでなく、独立の世界レベルの専門家の投稿が多いのもいい。
日本に関連する記事を読んで、海外からどう見られているかを知るのも一つの目的です。FTの特派員は日本で起こっていることを第三者の眼で見るので、日本のメディアとは違うコメントが参考になる。数年前におもしろいと思っていた特派員はDavid Pilingで、いつも日本の新聞にはない見方をコメントしたり、日本の社会現象、例えば若者のニート現象について、当事者にインタビューして彼らの様子を紹介していました。外国人の眼で日本を分析しており、ふぅむなるほど、と唸らせることばかりでした。
ところが日経がFTを買収してから、日経にFTの一部が日本語訳で掲載されるようになり、そのひとつを読んでみて、おや。Robin Hardingという記者ですが、日本で報道されているトーンとほとんど変わらない。英語のサイトで彼の過去の記事を見てみるとどれも同じ調子。インテリイギリス人らしく物事の現象を構造的に解明してみるとか、現状を皮肉に見て自分の語り口調でひねってみるとかがない。
これを見て、FTも日経の影響下でコントロールされているな、と感じるわけです。日本の記事を英語にすることと変わらないので。日本からの報道を一様にするだけでなく、FTの日本語を読む日本人に世界の視点を知る機会を削いでいるな、とも思う。
このほか、日本語で紹介されるFTの記事の選定もニュートラルでないですね。
例えば、少し前のマイナス金利について。英紙では賛否両論の見解が多数掲載されており、なかでも失敗についてのコメントが多かった。それなのに、日経で紹介されたのはほんの一部のうまくいっている記事です。これだけしか読まない読者は、欧州では日本の金利政策は評価されているのか、と思ってしまいますよね。ほかにも最近の「アベノミクスは息切れしており、成功とはほど遠い」なども日本語になりませんね。翻訳には問題はないけれど、記事の選択が意図的で偏向があると私は感じます。
そんな前提で報道に接すると、少しずつcritical readingができるようになります。