体調が急変して病院へ運ばれると、意識があれば本人が、なくても家族の皆さんが動揺して「ともかく生かして欲しい」という思いが先になり延命医療を頼んでしまう。
でもそれをお願いしてしまったら、その後はどうなるのか・・。
そんなケースをNHKスペシャルで取り上げていました。
人工呼吸、人工透析、胃ろう・・・こうした医療技術や手段があれば生きながらえることができてしまう。それがますます進んでいった結果、ベッドに寝たままで悪い場合には意識がなくなってからも延命を続けていく事態になるのです。
元気なうちは、こんな状態になってまで生きたくないと思うものの、「それ」が急にくると「いやもうちょっと何とか・・」になってしまう。
番組はそんな状況に歯止めをかけようと「延命しない生き方」を勧めるものでした。
延命に最初に向き合ったのは、父の最期が近づいた時です。
98歳までとても健康に生きてきたところでガンが発覚。それをきっかけに老人ホームに入りました。ホームはとても親身になってくれて、最期に近くなったら早めに提携の病院に入院することを決めました。
それでも院長から「急な体調変化があった場合、延命措置をしますか?」と聞かれた。
その時はよくわからないないので、「はい、お願いします」と言ったところ延命がどんなものかを話してくれた。この歳まで元気に生きてきて、もういいじゃないか。終わりは自然に安らかに、で合意していたので、延命がどれほどその意志に反するかがわかりました。「でも緩和措置がありますから」といわれ、結局「受けない」ことにしてその通り緩和をして静かに終わったのです。これはとってもいい終わり方ですよ。
最期の医療−−
それは自分や身内の「死に方」を考えることです。死なんてクチにしてはいけないような風潮があるけれど、死を考えるということは翻って「それまでどう生きるか」を考えることになんですよ。つまり残りの時間に、前向きに主体的になれる。
私自身今年ガンを宣告され、だいぶ進行していることを自覚。手術を受けるまでの間は、本当に「あといくらも生きられないかもしれないな」と思ったものです。医療を頼りにする一方で、死ぬことを考え今までの自分の歴史を顧みる。
幸い術後は良好でそんな事態から回復してほっとしてますが、一度そういう経験をすると死ぬまでの人生をどう過ごそうか、ということが現実的に自分の課題になる。そう考えることは非常に重要なことだ、と自身で納得するようになります。
終わったと思った生命がまだここにある。ならば、以前と同じように目の前の小さなことで悩むことないじゃないか・・。そんな気持ちの切り替えに気づかせるために病気になったのだろうね。
今ある命を十分に生きよう。