建設凍結で揺れている八ツ場ダム。
父の実家がダム予定地の下流にあり、夏祭りに行ったきっかけに回ってきました。小さい頃から馴染みのある場所ですが最近はあまり行くことがなく、特にダム建設が進んだ現場を見たのは初めてでした。
ダムそのものよりもその付帯工事、つまり道路や橋の建設による一帯への影響がすごいです。吾妻川をはさんだ両側の山の中腹には、新しい道路が走っていて、ここがダム湖の水面レベルになるな、ということがわかる。その下――今走っている道路や鉄道そして田んぼや民家――は全部水没するわけだ。
この道路だけでも陸橋やトンネルがたくさんあって、ずいぶんお金がかかっていそうですが、それに加え両岸をつなぐ橋が何本も建設されており、建設費が相当なことは素人の私が見るだけでもわかるのです。大そうな橋げたがどーんと建てられて、吊橋だのコンクリートの尖ったデザインだのと、凝ったものが何本もかけられている。
この辺は典型的な日本の片田舎で、山々の間を川が流れて自然の渓谷が美しいところだったのです。その静かな風情が、今はコンクリート建造物まみれにされてしまった。さらにその巨大な人造物が工事の中途状態で止まっているので、「醜い」怪物をさらけ出したまま人間界の喧騒を象徴している。また工事の建設事務所があちこちに建っており、これを見ても地域が利権にまみれてしまったことを彷彿させます。
住民たちも複雑でしょう。
「一人で160億もらった人もいるらしいよ。」
親戚が、住民の補償金の噂話をしていました。実際にはここまで多くはないだろう、ただ地元の人たちの噂話が大きくなってこんな金額にまで膨らんだのだろう、と私は思います。金額がどうということでなく、ここらの人たちは日常の会話にいつも補償の話が持ち上がり、とても落ち着かなかったでしょう。
賛成派か反対派か、ということでコミュニティも分断してしまう。補償金目当てでなくても、「○○サンは、××円もらうらしいよ」と聞けば、じゃうちはいくらくらいかって、そんなことばかり気になっていくでしょう。そんなことが、建設費をどんどん膨らましていくことにもなっている。
ここまで出来てしまって、今工事を止めたところで地域の自然は元通りにはならない。
道路や橋梁工事を放置したまま無残な姿を後世までさらし続けても、誰の得にもなりません。予定通り作ってしまい、ダムとして完成させてしまう方がずっといい。建設やめるなら、もっと早いうちに建設着工する前に止めるべきだった。
3・11のあと、原発を補う自然エネルギーへのシフトが急速に必要になっているのです。このダムによる水力発電を、代替エネルギーのひとつに考え直してもいいじゃないですか。
ダムの利権も原発の利権も同じことだな・・・と連想しました。