CSR報告書の第三者意見を何社か受けているので、それを見て新たに依頼してくる会社が毎年いくつかあります。ご依頼をそのまま受けるキャパシティがないなどの理由で、私なりに方針を決めている。そのひとつが、直接その会社と話すというもの。
会社と知り合うきっかけは様々で、間に紹介が入るケースも多いです。多くは制作会社であり、受けるかどうかは紹介のあとその会社の対応姿勢などを伺ってから判断するということを、だいぶお分かりいただいてます。
今回そのルートとは別の関わりで、経営アドバイスをされている先生からご依頼がありました。
いつものように、直接伺ってそこで決めると伝えたのに、どうやらこの先生が間に入って調整するのが当然という認識だったようです。この会社に直接電話をし、依頼の背景やCSRへの取り組みの実状などをいくつか質問。どうもやりきれないと判断してその旨伝えると、電話の相手は何だか怪訝そう。状況を聞くためにコンタクトするというのは私の理解で、この方は私が連絡してきたのは先生が仲介してYESの了解が取れたからとお考えのよう。
そのあと先生と話したところ、この方に相談せずにNOと決めたことにちょっと驚いている様子でした。私は両者との電話を切ってもなお、「何でこんな反応なのか・・」とすぐ事情がわからなかったのです。しばら~く考えてみて、何だ先生を飛び越した形になったが悪いのか、と漸くわかってきた状況で。
先生ごめんなさいね。
でも偉い方かどうかなど、受ける理由ではないですから。直接話さないで決められないじゃないですか。お断りするならば理由をきちんと本人に伝えるべきだし、ワタシ全然問題ないと思うワ。
・・・とあくまでウンノ的な姿勢でいってみましたが、そうかこれって日本のアノ慣習なんだな、と関連して納得してきた。
「アノ」とは・・・お見合いの仲人。
「誰かいい女性(男性)いませんか」「えぇいますよ。あの人を紹介しましょう。」という形でお見合いして結婚、が普通でしたから。どうも合わないとなれば、仲介にお断りすればいい。いい年齢になって特段NOの理由がなければ、それでYES(=ゴール)だったわけだ。あとから欠点とかわかってきても、夫婦なんてそんなものですよ、ですます。
こういう風習で自分の人生決めていいの?、という具合で仲介や紹介から遠ざかってきたワタシには、何だかしっくりこないやりとりでした。