日本人は単一民族なので、思考も単一になりやすい・・。
会社勤めをしていると、企業社会という枠組みにはまるので自分の考えよりも会社中心の考えにどうしても染まっていきます。会社にいる時間が長く、人間関係も会社がらみが多いとなれば、そこの風土や慣習を受け入れることが居心地よく過ごしていくコツですから。
それに順応できて疑問を持たなければいいですが、ひとたび組織から出てしまい独立の見方をもつようになると、ニッポン特有の単一社会から距離を置きたくなる。自分も同じ社会を生きているという感覚よりも、何で皆同じ見方をするのだろう・・という意識の方が強くなる。
先日ちょっとしたことから聴いたクラシック音楽のなかで、バッハのチェンバロ協奏曲集にはまってしまいました。チェンバロの独特な音の伝わりはピアノと違い、はじけるような音響でやさしくのってきて、素朴で大好きな楽器なのですが・・。
何気なく聴き始めた瞬間、どこからか何かが降りてくるような衝撃が突き刺さってきた。そしてその何かに自分の意識が繋がっていく感覚。やさしく流れる曲や頭の芯を刺激するような低音をたたき出す荘厳なタッチなど、いくつかのタイプがあるのだが、それぞれが特徴に応じたメッセージをもっている。
バッハの曲は教会音楽で私には無縁だと思っていましたが、宗教にこだわらずに共通する「何か」を持っている。人間界を超えたところの、宇宙から来るエネルギー。”Wake-up!”といって、揺さぶっているようです。
企業社会にはまっていると、こんな感覚には鈍感なまま。今目の前に動いているものでしか判断できない。しかし、人間の思考を超えたところに何かがあると思えると、それに照らして納得する答えが見つけられるようです。
今の日本が単一思考だとしたら、企業社会、産業社会のルールに人間の方が意識をはめ込まれてしまったためでしょう。今時点の場所や時間だけでなく、過去からの流れや世界とのつながりそして宇宙的発想で事象をとらえれば、多様な見方ができると思いますよ。