●遷宮への関心増大
今年は遷宮の年で、10月に伊勢神宮の遷御の儀が執り行われ、ご神体ともども新しい神殿にお移りになったところだ。また60年に一度の出雲大社の遷宮も行われ、伊勢と出雲が同時に行われるのは実に300年に一度ということだ。一般の間でも大変な関心が寄せられ、報道の取材もかなり増えている。私もお伊勢参りしてこようか・・・という方も多いのではないか。
神社に行くのはお正月の初詣だけ、という方も多いだろう。しかし逆に、日本人なら年に1回は誰でも神社のことを思い出す、ということでもある。遷宮がきっかけとなり、日ごろの生活のなかで神社の存在に改めて目を向ける機会が増えるのはいいことだ。
神社の家系に生まれた私は、一過性のブームということでなく日本人や日本企業の根本的なところを神社や神道と関連づけて考えている。神職の講座も受講し、最初の階位は取得した。自分の行動を振り返る時は敬神生活の綱領を思い出し、これを自身の行動規範にしている。
そんななかで、神社界の宝物である「三種の神器」は日本の企業経営の根幹を表していると考えている。いわばこれが日本版のトリプルボトムラインといえるだろう。
●勾玉: 財宝(=資産)
まず装身具の勾玉は、財宝の象徴。C型に曲がっているものが多く、そんな形状からか曲玉ともいう。
財宝は財産や資産で、企業でいえば事業活動により手にした成果だ。有形無形を合わせ、企業の価値を創りだす財産。企業業績は財務で測られるが、それだけでなく財宝としての価値をどう高めていくかが事業活動になる。
そこで、収益を生み出す基盤こそ財宝だといえる。ヒト、モノ、カネそして知財といった社内の経営資源(経営の資本)だけでなく、社外の環境、社会の基盤から事業に関わる部分を活用し、事業が成り立っている。
●剣: 武器(=製品・サービス、技術)
剣は身を守り戦うための武器だ。戦いには武力衝突だけでなく、市場での競争や権力闘争まで様々なぶつかり合いがある。実際の社会では、戦わずにすめばその方がいいので、剣は武器そのものの役割だけでなく、むしろ自分には能力があるということを示す権力の象徴としての意味の方が大きい。
企業経営にとっての武器とは、製品やサービスにあたる。またそうした製品のコアにある技術やアイデアもまた武器になる。マーケットで戦うために、どんな製品を開発し提供できるかが戦略のカギだ。
●鏡: 経営のココロ(=理念、)
三つ目の神器は鏡。
天照大神が天の岩屋に隠れてしまった時、大神が岩戸を細く開けた際にこの鏡を差し出したという。鏡に映る自分をよく見ようと興味を引きよせたことで、再び世は明るくなった。
ここでの鏡は、単に姿かたちを映すものではない。鏡には御霊(=心)が映ると考えられており、映った像をみて自分のあり方を確認するものだといわれている。歪んで映っていれば、どこかにやましいところがある。日々の行いを正していく指針であり、カガミから「ガ(我)」がなくなると「カミ(神)」になる、という説もある。
これを経営にあてはめてみると鏡は経営のココロであり、企業の理念や価値観、倫理観といった根本といえる。事業活動のどんな行動も理念に基づいたものか、日々鏡をみながら確認し修正していくことだ。
●理念をもった経営こそ企業の根幹
この三つのなかでも鏡がもっとも大事な宝物だ。
財産や武器を失ってもまた作り出せる。鏡はすべてのモノや価値を生み出す根源であり、これを失ってしまうと人や組織は存続しえなくなる。
多くの日本企業は経営の基本に経営理念を掲げ、それを大事にしてきた。一方で欧米の経営学やキャピタリズムのなかでは、このことがどこにも位置づけられていない。サステナビリティの考え方が広まった昨今でも、経済に環境・社会要因は含めるようになったが、理念の部分は精神論になるためか考慮されない。ここが日本人には腑に落ちないところだ。
伝統的な三種の神器はそこをすくいあげるもので、日本の経営の基本をもよく説明しているではないか。これこそ日本のトリプルボトムラインとして、世界に発信したらいいと考えている。