先日、八ヶ岳の中腹の山小屋でソーラーパネルを設置しているのを見かけました。いまや太陽光発電は珍しくないですが、「山小屋で」というのがポイントです。
ソーラー発電、風力発電、バイオマス・・・。どれも化石燃料の代替エネルギーとしてクリーンであることから、地球温暖化対策として重要な手段です。しかしこうした再生可能エネルギーは、エコだけの意味じゃないんですね。自然界で今まで使われていなかったどこにでもある新しい資源をもとに電気をつくる、つまりこの「いつでもどこでも」が可能になったことで世界がぐぐっと変わっているのです。
ソーラー発電はこのなかで最も低コストで可能なので、世界で一気に広がっています。ともかく「ちょっと電気があればいいのだが」というニーズにもってこいなんですから。日本では、
「新しい発電はこれまでのものよりお金や高度な技術が必要だ。」あるいは、
「発電は事業者がするもの。個人や素人が手軽になんて・・・」
と思いがちじゃないですか?この考えに縛られている限り、日本企業がいくら優れた環境技術をもっていても、世界の競争からどんどん遅れてしまう。
ソーラー発電は、不便な場所で少量のスポット電力が必要な場合にうってつけの方法なのです。先進国では大規模な発電所を建設し、それをくまなく送電網で各地に届けるという設備インフラが整っている。従来からの集中型発電が完備していれば効率はいいが、再生可能エネルギーの技術が格段に進歩した今日、インフラが不十分な途上国では小規模分散型の発電の方が利用価値が高くなっている。
CO2の排出が多いか少ないかではなく、貧しく開発が必要な地域でどんな発電手段が現実的に可能か、なのです。山小屋での発電は、まさに先進国ながら孤立地域という従来型エネルギー供給が不可能な場合の経済的な解決策です。
そしてこんな地域では、何も最先端のソーラー技術が活躍するわけではない。夏にザンビアに行った時にもそのことを感じました。ルサカ郊外のモデル農村を訪れた時。
「収穫期には、この農産物の乾燥機を村の人たちはよく使っているんですよ。」
といって見せてもらった機械は、実に簡単なソーラーパネルが付いているだけでしたが、太陽にかざすとブ〜ンと羽が回って確かにいい感じに風が出てくる。ものすごく単純な発電機で、そういえば電卓の端っこにはめ込まれている小さな太陽電池と似たようだなぁ、と思い出しました。
そう、あんなくらいのものが過疎地で十分に働くんです。それで生活が、産業が変わるのです。