翁長氏の死去に伴って行われた先日の沖縄県知事選挙。翁長路線を引き継ぐ玉城デニー氏が大きな差をつけて勝利しました。
翁長氏が亡くなった時、多くの方は
「道半ばにして、さぞ無念だっただろう」
と思ったことでしょう。辺野古移転に反対を唱え続けていたものの、それが政府の力で押し切られるのでは・・という雰囲気が広がりつつあったのですから。
生きていれば活動できるのに、死んでしまってはどうにもならない。
これはもっともらしい考えに見えます。でもそうじゃない。
翁長氏は癌が見つかってから自分の死が近いことを感じ、身の回りの品々を整理していたそうです。
「家族たちは私が持っていたものを残そうとするだろうから」
と大量にある本などをどんどん処分していたといいます。
現役の知事が就任中に亡くなるとなれば大きなニュースになる。
つらかったかもしれない。でもそれよりも「自分がいなくなった後に、この思いを絶やさず実行し続けて欲しい」と考えるほうが強かったでしょう。
それがこの選挙結果です。
沖縄県民には意思が少し遠ざかっていたかもしれないこの課題を、彼の死をきっかけに思い直し繋いでいく重要性に多くが気づかされたのです。
命が終わる時、人は辛くて悲しくて残念なのだろうか。
そう思うのは残った人達なので、翁長氏ほど自分の命でもって多くの人々に感銘を与えたことはないのでは、と思います。
生きている時は自分の活動のために肉体を使い、亡くなる時は周りの人々の魂を目覚めさせる。
とてもいい命の使い方をされたのだなぁと思いました。