物事の現象を追求し、それを解明して法則を説明するロジックが科学です。
しかしいくらこれを究めてもなお真理には到達できず、いやむしろますます自然がつくりだした秩序や仕組みが限りなく深く、不思議に満たされたものであることを実感せざるを得ない。
遺伝子学者の村上和雄先生はこれを「サムシング・グレート」と呼んでいます。今回
著書を読み直してみて、あらためて先端の科学者でありながら宗教や信仰に根ざしこれをはずしていない考えが徹底していることに敬服してます。
ヒトゲノムの解読作業は世界で1991年からはじまり、先生の研究功績は様々な研究者が遺伝子解読にしのぎを削っていたその流れのなかにありました。その後2003年にすべての解読が完了されています。
欧米の進んだ研究がともかく解読に集中していることに対し、村上先生は科学に没頭しながらもその根本で常に自然が創り出した遺伝子の不思議に引き込まれていくことを素直に表しています。
ヒト一人は60兆もの細胞で成り立っています。それが秩序正しく協調しながら各器官の機能の働きを担っているために、私たちは生きているんですよ。これだけの数が整然と動き、争いやぶつかりがない。
人口数十億の人間社会は、地球上で絶えず混乱や収奪、権力の闘争が絶えず起こっている・・・。なのにその1000倍もの細胞をもつ人間の身体はなんと平然といのちをつないでいるのか、これだけでも相当な不思議であることに気付かないと。
そもそもヒト一人が生まれてくる確率は、1億円の宝くじが100回くらい連続で当たるくらいの確率なのだとか。途方もない偶然の中で私たちは生きるいのちをいただいているんです。
生きていることに感謝し、そこのアプローチするもうひとつの方法が霊的なものであり宗教がそれですね。
科学が解明されていなかったその昔には、自然界の説明として霊的なアプローチと科学は同じように考えられていたものです。
科学が進み、テクノロジーで私たちの生活がどんどん人間に都合のいいように変化していくなか、何でも科学で説明できるしテクノロジーで解決できると当たり前になってます。
でもそれへの疑問も一方で強くなってます。霊的なもの、つまり自然の摂理やココロの持ち方を意識することに拠り所を求める動きです。
ビジネスから都会から離れ、自然に触れたくて今はできるだけ山歩きをしてます。
下界の蒸し暑さを逃れ森林の中にいるだけで、その空気が気持ちを鎮めてくれます。こんなところではコロナウイルスなんて無関係!
霊的なものを感じるまではいきませんが、サムシング・グレートがつくるもろもろの自然界に触れそのなかに身を置くことから、存在としての自分がでてくれれば、と思ってます。