企業の人権対応に関わっていた際、LGBTをどう受け入れるかが一つの課題でした。
企業経営の場合は従業員への対応が中心でしたが、社会全体でこの課題をどう捉えるか、そもそもはそこから考えることです。
余談ですが、LGBTがかなりポピュラーに語られるようになってきたものの、会社の中であるいは身近な人の間でこの現実に出会うことはまだ少ないのでは。
私は以前ドイツ系のコンサルティング会社に勤めていたとき、プロジェクトで一緒になったヨーロッパ人男性にGの方が多かったためあまり違和感がないです。皆隠すことがなかったので、割とオープンに話してましたし(面と向かって話すことはなかったけれど)。
それでも、仲間のフランス人女性がご主人からカミングアウトされた時はショックだったと聞いて、自分ごととなるとやはりそれなりに心の整理が必要なんだなと思ったものです。
仕事や遊び仲間の知人がどんな付き合い方をしようが、それはそれで受け入れればいいのであまり問題を感じずにきました。本人たちが嫌な思いをしないように接すればいいだけのことなので。
ところが、家族とか結婚を考えると、そう簡単ではない。
LGBTの権利を法律で認めるということは、結婚を認めることですから。
そこをう〜ん・・と思い続けていたところにわかりやすく回答をくれたのが、台湾で最年少デジタル大臣となったオードリー・タン氏。先日発行された、「自由への手紙- A Letter to Freedom」(講談社)で明快に答えてくれてます。
新しい社会をつくるための17通の手紙のうち、「家族から自由になる」がそれ。
台湾では、2019年に同性間の結婚の権利を合法化しています。これについて、
「この結婚によって、お互いの家族が姻族になるわけではなく、同性カップルの結婚とは当事者間のものです。私たちは国民投票を経て、『家族同士の姻戚関係については文化的判断に委ねる』としました。」
とあります。つまり、「家と家」ではなく「個人と個人」の結びつきという発想なのです。あくまで当事者の意向で、家族とは引き離すという考え。
なるほど〜。
「家族は姻族としての形を取らなくて良い」ため、本人の意志を尊重できる一方で、保守的な父系社会の伝統を重んじる方達も、「同性婚は個人と個人の関係であるなら、社会的脅威にならない」とみなせるというのです。
日本だってそう考えられるはずなんですよね。
この問題だけでなくあらゆることを「自由に」考えれば、社会の動きがもっと良くなりますよ。
ところでオードリー氏は、性別を聞かれると「なし」と答えるそうです。
男性として生まれたもののトランスジェンダーを公表しており、今はあえていえば「彼女」という方が正確です。でも男か女かとか考えること自体、発想が縛られてしまっているということが、本を通してよくわかってきます。
どちらの性でも発想ができるのですから。