「大事にモノを持っていても、流されてしまえば何の価値もなくなるじゃないか・・」
3.11で津波にのみ込まれていくサマを目の当たりにした際、真っ先にそう思いました。
そして東京での混乱を体験し、これは都内にいる時代じゃないよなとすぐに考えて、数日後には当時市ヶ谷に借りていた事務所を出て、自宅近くの吉祥寺に移すことを決めました。その引越しの時、もうあれこれと抱え込まず、今持ってしまったモノを整理しようと荷物を大量に処分。特に雑誌や書籍類。
――これがワタシの断捨離の始まりです。
できるだけ本を置いておきたい・・という気持ちは、研究関係の職にある人には共通の思いでしょう。私が借りていた事務所は壁一面に可動式の書棚が作り付けてあったので、とっても気に入っていた部屋だったのです。
惨事を見てそんな思いは一転。
その時あった書物の中で、とっておこうと思えるものはほんの僅かとわかり、ほとんどを廃棄。気持ちが切り替わっているから、「もったいない」なんてあまり思わなくて、ジャンジャン手放すモードでした。
本は重たいので、手放していくと物理的にも自分の心が軽くなっていきましたね。余分な「思い」がなくなると「重い」縛りから解かれるのでしょう。
そして今度自宅を東京から山梨に移すことになって、今度は私物の断捨離。
ライフスタイルを一新するため、自宅の生活部分が中心です。両親が建てた家を相続しているので、親の代からのものがまだあるし。
これに新たに加わったものは、ビジネスや都会でのお出かけ用の洋服や服飾品。どんどん人にあげてしまいました。
家をできるだけカラにするため、若い頃から捨てられずに物置に積んでおいた品々まで思い切って整理しております。
その際とってもありがたい方法が、北杜市エリアでやっている不用品を譲るシステムです。
これはフェイスブック上にグループを運営しているもので、加入したメンバー向けに譲りたい品を掲載してやり取りするものです。無料で譲ることが基本で、その名も
「オカネイラズ北杜」
わざわざバザーやフリマを開かなくても常時やっているし、写真を載せてあとは連絡の取り合いもそのままスマホでやってしまえるのでとても重宝してます。
地域でのやり取りなので受け渡しもFace to face。モノを通して実際のコミュニケーションが生まれることがまた面白く、デジタルとアナログを組み合わせたいいネットワークになっています。
断捨離だけど、モノを「捨てる」のではなく別の人が使ってくれるなら寿命が長らえていいですよね。
モノをなくして空間をつくる。
いつも自分の中が満たされていないと気が済まなかったけれど、価値観を変えようというならまずもろもろと保持してしまった「今までのもの」を手放して空っぽにすることが先かと。
そうすれば、自然とこれまでと違ったコトが入ってくるのだから。