先日伊勢神宮のシンポジウム「式年遷宮の夕べ」があったので、参加してきました。遷宮とは20年に一度神殿を造り替える祭事で、次は平成25年、既に準備の行事は始まっています。建物の新築だけでなく、装束や神宝まですべてを新しくすることで技術や技法を伝承するという意義があります。
今回のシンポジウムでは、東大教授で曹洞宗の僧である菅野覚明先生のお話「遷宮――清浄の原点」が興味深かったです。伊勢神宮の魅力を仏教界の人間が語っておられるのです。
日本がもつ自然の美しさから入るのですが、ただ単に「きれいだ」ですますのでなく、実に緻密に日本の自然を分析されているのです。日本の美しさはある種神秘的なものであって、清らかさ、すがすがしさ、澄み切った、という表現だというのです。さらにそのうえに、冷ややかさがありゾクッと寒気がするような緊張があるイメージが加わっている。寒くもないのに鳥肌が立つような感覚、何となく怖い感じを引き起こす。これは神様がいる、霊地であることからくるのであり、これが「畏れ」というもので、この均衡が「清浄」だというのです。
なるほど伊勢神宮に足を踏み入れてみると温度が2度くらい低く、大勢人がいるのに何故か静寂な緊張感を感じるのは皆さん同じでしょう。
神様も自然も同じで、どちらも人間がコントロールできない。固定しきることができないからこそ常に更新されており、そこに一定性が保たれるということなのです。自然の景色はいつ見ても変わらないといいますが、そこに育つ木々や水の流れは日々移り変わっているのですね。つまり「変化を貫いて、変わらぬものをとらえる」ことなのです。それが遷宮であり、日本の原点だと。
これは日頃の生活にそのままいえることです。変わるものと変えてはいけないもの、このバランスではないでしょうか。日本人の自然を大切にする文化、これは今日の環境問題意識の根本です。人類が産業をどんどん進め、あたかも自然を征服できたかのように振舞っていることが本当は畏れ多いことなのです。
ところで、この講演の最中に会場がグラグラっときました。揺れがしばらく続き、参加の皆さんは腰を浮かしそわそわし出したのです。都会の真ん中で14階のホールが崩れたらどうしよう、などと私の気もそぞろ、まさに会場の皆がヒヤッとして恐れを感じました。ところが菅野先生全く意に介さず、「あ、神様が来たんですね。」と一言いうだけでお話を続けていらっしゃる。そうか、先生の清浄の講演に反応して呼び込まれたのか。
・・・と家でこれを書いていたら、また地震が。この先生のエネルギー、すごいです。
シンポジウムのあとは、おみやげに赤福をいただいて帰りました。「五十鈴川の水に洗われて、さらにおいしくなったことでしょう。」との神宮側のごあいさつ、お見事でした。