人材育成や企業の組織論の際に話題にのぼるキーワードが「リーダーシップ」。日本でもすっかり定着している言葉ですが、日本語訳がなくそのままカタカナが根付いています。
辞書をひいてみると統率力とか指導力とかちゃんと訳語があるのにそれらは使われずに。指導や統率とはあまりに管理的な厳格で、トップとして君臨し権力を伴った地位にある場合のイメージが強いからでしょうか。リーダーシップはもう少しカジュアルで、ちょっとした遊び仲間の間でも使えるので馴染みやすく感じます。
この背景には、日本社会では一部の先導的な機関や人材のもとにその他庶民は一丸となって協力していく、という体制があるのかもしれません。和の精神といった協調性が大事で、昔からの慣習のもとであまり飛び出さずに平等に協力しあうことを重んじていたやり方です。共同体のなかでは、あまり主導性をもって突出しない方が賢いといえます。
団体のなかで引っ張っていく素養が大事という欧米社会をみていると、リーダーシップが理解できます。他人に合わせることよりも自分をいかに表現するか、ということに力を入れる。セミナーに参加してみると態度の違いがよくわかり、質問の時間を設けなくてもどんどん手が挙がって自分の意見をまくしたてている人を良く見ます。自分が話せることが重要で、回りがわかってくれなくても別にいいみたいですね。誰がリーダーシップを取るかの競争をしているようです。日本は主張するよりよく聞くことを大事にするので、国際舞台で存在感が弱くて残念な思いをすることがよくあります。
だからといって、日本で日常のオペレーションのなかに何も動きがないというわけではありません。リーダーという序列をつくるよりも、活動の流れをつくり自然に皆がそれについてくるというやり方を好むのです。これは求心力といえるでしょう。そこにいるだけで自然と引き込まれていくような魅力であり、同じ中心に向かっていくというエネルギーです。この逆に遠心力の方が強い環境ではどんどん皆の心が離れていき、繋ぎとめておくことにばかりに労力を使わなければならず、共同の力が生み出す成果などろくに期待できなくなります。
日本人が考えるリーダーとは、このような求心力の素養がある人だと思います。