先週末は東大の五月祭でお話してきました。呼ばれたのは学生が運営する神社・神道研究会主催の講演会です。この研究会の学生さんとお会いすることがあり、私が東大で講師をやっていることもあって登場することになりました。
なぜまた神道・・?とお思いでしょうが、私の生まれが神社家系であることから神道に関心をもち、2年前に神職の最初の資格も取りました。といっても関心を持ち出したのはほんの4〜5年前、独立してどんなスタンスで生きていけばいいのか大いに迷っていた時に自分のルーツを再考。神社の生まれということに気づいて、それからなのです。
神道を意識してみると、環境問題に関心を寄せる意味もついてきました。講演の機会は多いですが、神道からみははじめて。思い切って環境問題との関連で話してみよう、という気持ちに。用意したレジメの大項目はこんな感じです。
1. 環境問題の流れ
・1970年代 : 地域の公害問題
・1990年後半以降 : 地球規模での環境問題
2. 環境問題のなかの自然保護
3. 神道における自然
・敬うなかにある「畏れ」の感覚→ 目に見えない大きな力(=自然崇拝)
・八百万の神 → 万物に神々が宿る
・「そこにあるもの・状態」を受け入れ、引き継ぐ
・人間は自然の一部。生かされている
4. 世界経済と日本人の環境意識
・自然との共生 → 日本企業が環境経営を意識する基本
・神道の基本概念が日本人の心に存続
・欧米観との違い → 人間こそ最上位で自然は征服しうるもの
・行き過ぎた工業社会、金融市場の崩壊 → 自然を見直す動き(=環境問題)
講演というものの、何せ神道を学ぶ立場では初歩の初歩。偉そうなこといってはイケマセン。基本的な考えのうち、私のなかに響くものを3. に項目出ししてみました。
自然の力への「畏れ」という意識がもっとも基本です。この感覚、現代の私たちになくなってしまっていけないなぁと思い直してしまいました。自然は何も言わないので、人間の一方的な意志で木を切り土地に手を入れて、建物を建て産業活動を展開してきた。でも人間がやりすぎてしまったことに対して、無言の偉大な力でもって人間社会に警告を突きつけてくる。それが地球環境問題といえるでしょう。
「そこにあるもの・状態を受け入れ、引き継ぐ」ということも、当たり前のことなんですが私には目から鱗です。人間は自然のなかに生かされていて何も創り出せないのだから、「そこにある」ものをありがたく授かって生きていくという日本の昔からの考え方です。神職はそれにまつわる祭事を淡々と行うことで、伝え引き継いでいくということがお仕事。仕事の効率性とか「それ」の意味とかは考えることではなく、大きな自然のほんの一部として回っていくご奉仕なのだと。
神道とくるとどうも拒否的になると思いますが、自然を大事にすることの必然性は日本人の心に根付いているものです。そこが崩れていると嘆く方も多いですが、日本人の環境意識は高く企業経営でも先進的な例はたくさんあります。やはり日本の基盤であり強みでもあり、それを世界に広げていければと思いますね。