「明治の文豪なんていうけれど、要するにあれは昼メロなんですよ」
ある講演会で何気なく出てきた講師の先生のひと言に私の関心が反応してしまい、ずっと手にしていなかった漱石文学を何冊か読んでみました。中学校の推薦図書を庶民感覚的にバッサリやられ、そんな読み方があってもイイのか・・と新鮮な興味がわきます。
なるほど、どれも主人公の若い男性の女性関係にまつわる出来ごとや心理状態がつづられているわけで、確かに昼メロです。今の時代はそんな若者の男女づきあいなんて日常すぎて、小説のテーマとして面白くないのでしょうか。というより、皆さん昼間は仕事が忙しく動き回っているので男女の色恋のステージは夜が主流。しかも、よりミステリアスで刺激的なものが好まれるということですかね。平成の文豪とは、さしあたり渡辺淳一や高樹のぶ子といったところでしょう。
では今の時代に、内向的で思ったように行動できない男性がいなくなったかといえばそんなことはなく、むしろ心の中に問題を抱えている男性は非常に多いです。一方、女性の方が自由奔放でエネルギー溢れている。漱石の明治時代と同じなんです。昼メロがもつ明るい平穏なイメージとは裏腹に、現状を素直に受け入れられないで苦悩する主人公の姿が、同じように悩んでいた自分の人生と重なってきました。
生活が豊かになれば精神面も問題なくなる、と経済成長に突き進めた時代は迷いなくてよかったのかもしれません。もっとも時代がよかろうと悪かろうと、人生を突き詰めて考えてしまう性質の人間はいつでもいるものですが。
漱石文学のほとんどは男の立場から書いていますが、あこがれる女性が男性関係を巡って思い悩んでいる心理状況もちゃんと描かれていますね。自由闊達で行動的だからといって、オトコが思うほど派手で目立つイケメンばかり好むわけじゃないのです。「アイツより俺は負けているよな」とかコンプレックスは誰にでもありますが、そんなところ女性は気にしていないなんてことはよくあるのです。それよりも、自分の欠点ばかりに意識がいってしまい「だから僕のことなんか好きなわけがない」と自分から決めつけてしまう方がずっと罪なことです。
今売れる小説は、「こんなことができたらいいのに」という夢や理想像で興味をひきつつ、ちょっと手を伸ばせば自分でもつかめそうな距離感のものでしょう。確かに行き着く先は魅力的ですが、誰かが仕掛けるフィクションは読んでそれだけだし手に入ってもその瞬間を楽しむだけです。人生って心に巣くっている問題をとことん突き詰めて、悩みながらひとつひとつ潰していくことです。それを共感できるのが、時代を超えて読み継がれた小説ですね。